りすなーの雑文

りすなが書いた文が置かれています。twitter:@mioni_listener

個人的に歌詞が好きなボカロ曲たち(歌詞を聴くことのススメ)

この記事はボカロリスナーアドベントカレンダー2020の12月8日分です。

この企画について、詳しくは主催obscure.(@voca6458)さんのnoteを参照して下さい。

 

note.com

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ボカロリスナーのみなさーん。

 

 

歌詞、聴いてますかー!!!

 

 

曲の聴き方は人それぞれだし、

俺は音楽だけに集中したいんだ!!!

「歌詞の意味など知らぬ、踊れれば何でもよい!!!!!!!!

って考えの人がいることも十分に理解しています(予防線)。

 

でも、もし仮に「音楽だけでも最高に好きな曲」の歌詞も好きになったら、その曲が二倍最高になると思いませんか????

(「その理屈だと歌詞が嫌いだった時最高度合いが0になるのでは?」とか言わない)

 

今回の記事では私的に好きな歌詞のその好きな部分をオタクっぽく熱く語ることで、みなさんにも「私も歌詞聴いてみようかな」と思っていただくことが目標です。

 

記事の趣旨に沿うため、今回の記事ではできる限り有名な曲だけを選曲し、できる限り難しい言葉を使わないように心がけました。...できる限りですが。

 

それでは行きましょー

 

 

1.曲の雰囲気とメッセージを上手く詰め込んだ歌詞。(いまのあと/ぽて)

 

 

ぽてさんはいいぞ。

 

失礼。開幕から飛ばしました。

ぽてさんはツイッター(ぽて (@pote_2low) | Twitter)のbio欄に

楽しい音楽作ります。

と書いてある通り、ユルくてかわいらしい曲を書く方で、実際この「いまのあと」もかわいらしい音が散りばめられたポップロックです。

 

しかし、纏う雰囲気とは裏腹に、この曲の歌詞は意外にも真面目かつ切実な悩みと願いを歌っています。

一部を抜き出してみましょう。

これで良かったって思う
ほんとに良かったのかな

(一番Bメロ)

「やっぱ夢みたいだった」
なんて思うから
あの頃の街も変わってしまうので

(二番Bメロ)

あの頃はよかったと思える
今が良かったと思いたい
今が良かったと思いたい 今で良かった
変わらない方がおかしい今で良かった
(ラスサビ)
(初音ミクwikiより引用 一部改変)

あの頃は良かった」と懐古しつつも、「じゃあ今はそんな酷いのか?」と悩み、最後には「これから先」に希望を持って「変わらない方がおかしい今で良かった」と歌い上げる...といった具合で、郷愁と今現在にかける決意とが交差した、これだけでも素晴らしい歌詞になっています。

 

しかし、この曲の(そしてぽてさんの)すごさはそれに留まりません。先ほども述べたポップで可愛い曲調とこのどこか寂しくて熱い歌詞、食い合わせの悪い二つの要素を見事にブレンドさせているのです。

 

先ほど飛ばした、1番Aメロ後半の歌詞を見てみましょう。

駅前の往来でみっつ数えたら
なんとなくだけど急いでみようかな

これはもう感覚の話になってしまうのですが、非常に「やわらかい」語彙の選択をいくつかしています。具体的にはスリーカウントを「みっつ数えたら」という少々幼い語り口にしてみたり、「なんとなくだけど~みようかな」とあいまいなニュアンスにしたりしています。

「なんとなくだけど~」の部分を、例えば「意味もなく、突然駆け出したくなった」などと言い換えてしまうと、なんだか切迫感が生まれてしまいますね。

 

ぽてさんはこうした語彙の幼稚化とトゲ取りを全編にわたって丁寧に行っています。

 

他にもサビのシリアスな歌詞の前には、共通して「なぞなぞだらけのだらけたこの日々で」という詩が挿入されています。

この部分も、ぽてさんは遊びの名前を比喩として使う、「だらけのだらけた」というユルめの韻を踏むなどし徹底的に角を落としています。

ここを「解らないことだらけで、気力もなく、ただ過ぎていく日々」と表現してしまうとダウナー成分が強く出てきて最近のNeruさんっぽい感じになってしまいますね。

 

ポップな曲調にダークな歌詞を載せる、という対位法的な手法自体は、たとえばボカロでは「ミルククラウン・オン・ソーネチカ(https://www.nicovideo.jp/watch/sm23404002)」などよく見るものではあります。

しかし、ここまでうまく混ぜていて、しかもその技巧を感じさせない曲は少なく、ぽてさんのセンスに脱帽するほかありません。

さらに、先ほど歌詞のキーワードとして「郷愁・懐古」を上げましたが、これがぽてさん流のこどものおもちゃみたいな音使いと相性が良く、「ただ明るい曲に暗い歌詞を乗せただけ」になっていないという点も、僕の好きなポイントになっています。

 

ぽてさんの曲ではほかに「なんかさ、」「放課後、教室のスーサイドさん」あたりも同じ」ような仕組みになっているので、ぜひ聴いていただきたいです。ぽてさんはいいぞ。

 

 

 

 

 

2.繰り返しを上手く使う歌詞(ヨヒラ/n-buna)

 とりあえずまず、歌詞の全文を見てもらいましょう。ドン。

 

夕暮れは彼岸花 夜は憂の色
さよならの呪文で
さぁ、君を忘れたのさ

夏影のかかるは紫陽花の縁
昨日の誠は今日の嘘
君だけを覚えてる

これでいいんだよ
なぁ、忘れたいんだよ
ただ昨日も明日も明後日も生涯息苦しいから
並に出来ないまま、人になれないまま
見えた君の影法師が胸を焦がしている

せきをする寂しさ ひとり、憂の色
夕暮れは静かだから
夏風の走るは想ひ出の街
夕暮れの静けさだけ

からす泣いて君もひとり
あの空を覚えてる

これでいいんだろ、なぁ
忘れたいんだろ? なぁ
自分が楽に生きたいから今日も逃げ続けたんだろ
並みにできないから 人になれないから
それが言い訳だろうと ほっといてくれよ

君だけを覚えてる(×5)

これでいいんだよ
なぁ、忘れたいんだよ
ただ昨日も明日も明後日も生涯息苦しいけど
並に出来ないから、人になれないから
君の想い出だけが見たい

忘れたいんだよ、忘れたいんだよ、これでいいんだよ、忘れたいんだよ、忘れたんだよ

これでいいんだよ、なぁ
忘れたいんだよ
ただ今も君の影法師が胸を焦がしたまま

 (初音ミクwikiより引用、一部改変・強調)

 

 聴いたり読んだりしていると、まず「忘れる」という言葉が尋常じゃなく出てくることと(全部で9回)に気付くと思います。さらに、1番の歌詞から察するに忘れる対象であろう「君」も歌詞に頻出(11回)していて、ついでに「忘れる」と正反対の「覚えてる」「思い出」「胸を焦がしている」(併せて11回)もバリバリ出てくる...とこう並べただけで「君のことを忘れられなくて辛い...」という内容だとわかります。

 それだけなら正直「いつものナブナじゃん」で済むんですが、特にこの曲を僕が好きな理由はその純度です。

 

 

ナブナ氏は活動スタイルとして、アルバム一つでストーリーを成し曲単体はその一部...という方式を選んでいます。

この方法をとることで、一曲一ストーリーよりも深い世界観を演出できますが、反面、アルバムのコンセプトを拾うための説明パート的な歌詞が必要になってしまいます。「無人駅」においては主人公が画家であることを示すために「画材」が出てきたり、アルバム「月を歩いている」収録曲は「童話」というモチーフに沿うための比喩が用意されていることがいい例でしょう。

こうしたコンセプトもまた曲の根幹となっていて、ナブナ氏らしい歌詞を作る要素となっていますが、それゆえに「もうここにいない君と、君を思い続ける主人公」という彼の曲ほぼすべてに共通するあらすじが若干ぼやけてしまっています。

 

それと比べて、ヨヒラのなんと純度の高いネチネチなこと!あじさいとヒガンバナという曲のモチーフ、それから文学パロこそ登場するものの、主人公の細かいデータや「君」のパーソナリティ、僕と君の関係それらすべてを排除し、主人公の執着に全集中した結果が、上で述べた同じ単語の繰り返され加減に現れているのです。

 

これだけだとただただ内容が薄いだけの歌詞なのですが、ナブナ氏はここである別の要素を入れることで単なる繰り返しを避けることに成功しています。

 

その要素とは何か、それはツンデレです。

 

そもそも、1番前半の歌詞、「君を忘れたのさ」から全力でツンデレです。「忘れた」と過去形のくせに、忘れた対象が「君」であると言っちゃってるあたり絶対忘れてない。なんなら同じ1番で「君だけを覚えてる」と白状しているし(君だけってあたりも非常にナブナ的)、サビでは「(君を)忘れたいんだよ」とどうして「君を忘れた」なんて嘘ついたかの動機まで自白しています。

2番では今度、「あの空を覚えてる」と言い換え、「わ、忘れらんないのは君じゃなくて君といた時の空だもん!!」とでも言いたげです。

しかし2番サビではそんな言い訳をした自分をなじるみたく展開し、サビ終わりには「「素直になれない自分」をなじる自分」に「ほっといてくれよ!!」と言い放つというなかなかのこじれっぷりを披露してくれます。かわいいね。

そしてラスサビ、「忘れたいんだよ」を三回繰り返したあと、「忘れたんだよ」と突然過去形になります。過去形になるのは一番以来ですが、ここでは単に嘘であるだけでなく、自分に言い聞かせているようなニュアンスも含まれていますね。「もう私はあんたのこと忘れたの!!終わり!!!!!!!」みたいな感じ。主人公、「君」のことを忘れられないせいで壊れてしまいました。「君」のせいです... あーあ

 

このように、「忘れられない」というだけでなく「忘れたいと思っている」ことにすることで、だんだん追い詰められていく主人公という経過が曲のストーリーとなって内容を増し、さらに「忘れたい」を繰り返すことで「忘れたいと思うほどに記憶に焼き付く」という、忘れたい黒歴史ほどよく記憶してしまうアレとして内容に説得力を持たせています。よってこの場合の繰り返しは、内容をペラくすることなく、むしろ内容を濃く太くする効果をもたらしているのです。すごい。

 

 

ところで、この歌詞の主人公、ナブナ氏本人に重なる箇所があるように思えます。前に述べたように、この「執着する主人公の話」は彼の曲の多くに共通した土台です。ともすればナブナ氏は「君に執着する話」に執着しているとも言えます。

すると「ヨヒラ」はナブナ氏が好きなシチュを純度高く詰め込んでいるだけでなく、ナブナ氏本人の話でもある、もはやナブナそのもの...というのは言い過ぎですが、それくらい濃いナブナ分で構成されているのです。

 

 

同じ言葉を繰り返すにも関わらず、実はすごくいろんなことが考えられる...僕がこの曲が好きなのは、そういったナブナ氏の構成力を感じられるところです。

 

 

3.ボカロにしか歌わせられない歌詞(愛言葉Ⅱ/DECO*27・砂の惑星/ハチ・ブレス・ユア・ブレス/和田たけあき・終点(COSMO@暴走P))


 

 

ボカロにしか歌えない、と来るとまず思い浮かべるのはメロディでしょう。無茶な早口・音高の上下が激しい・息継ぎがないなど。なるほどボカロにしかできないことは多いです。

では、ボカロ曲でしか聴けない歌詞とは何でしょうか?

 

 

中二っぽい歌詞はあくまでボカロっぽい(とされる)歌詞であり、人間の曲でもいくらでもあります。「くるみ☆ぽんちお」など卑猥な歌詞はなるほど聴く機会は少ないですが行くところに行けば存在します。

 

一つの答えとして挙げられるのは、人間関係をガン無視した曲ではないでしょうか。初音ミクが人間じゃないから、生きていないからこそ、ボカロPが初音ミクに提供できた曲というのは確かに存在するはずです。

今回は有名な曲の中から特にそう感じられる3曲を選んで紹介します。

 

 

一曲目の愛言葉Ⅱはアイドル感謝祭的なノリの歌詞なので一見問題なさげに見えます。男性が女性の気持ちを勝手に代弁して歌詞を書く...というのは例えば秋元康氏とか、中田ヤスタカ氏がよくやっています。

実際、愛言葉(無印)と愛言葉ⅢはミクwithDECO*27が視聴者への愛と感謝を伝える歌詞で間違いはないのですが、Ⅱだけは異様なことになっています。その部分を抜き出してみましょう。

3と9をかけると 27になるの
僕を何倍しても 君がいるよ
それだけでこの先 なんだって出来るから
どこへだって行こう 君を連れて 歌を唄って

3と9はもちろんミクのことだし、27はDECOさんのことでしょう。「どこへだって行こう~」の部分から考えるに、主語は歌っているミクさん...と考えるとこの歌詞、「DECOさんが勝手に「ミクさんからDECOさんへの感謝の気持ち」を類推して歌わせている」ことになります。ヤバいですね

 

いくらラブソングの気持ち悪さに定評がある(誉め言葉)野田洋次郎氏でも、女性への提供曲で「野田洋次郎大好き」とは歌わせないし、歌わせたらセクハラ扱いされそうです。

 

無論、ミクさんとDECOさんの間には5年分(当時)の信頼がありますし、実際にはミクさん嫌な顔一つせずに歌っているので問題はないでしょうが、現実の人間にはなかなか提供できない類の歌詞には違いないでしょう。

 

 

二・三・四曲目は言うまでもないですね。「砂の惑星」は「てめぇはもうオワコンなんだよすっこんでろ」的な歌詞をよりによって本人に歌わせる酷い内容ですし、「ブレス・ユア・ブレス」「終点」は三行半をこちらも本人に歌わせる始末です。もはやパワハラまがいですね。

しかも前半二曲は本人のライブのための書き下ろし曲で、「終点」はアルバムへの書き下ろし曲という晴れ舞台をどうしてくれるんだ的な意味でも酷い歌詞です。こんなのを実在の人間に同じことしてみた日には喧嘩と絶交間違いなしですね(そして歌ってくれないから実現しない曲になることでしょう)。

 

後半二曲の三行半は解散直前のバンドでやりそうな気がしなくもないですが、「ボーカルがバンドメンバーに喧嘩を売る替え歌をする」ことはあってもボーカルが自らを攻撃する歌詞を歌わないでしょう。やはりこの歌詞はボカロ特有ではないでしょうか。

 

このようなボカロ特有の歌詞を聴くと、曲の好き嫌いとは別に「ああ...ボカロ曲聴いてんな...」っていう気分に自分はなります。

他にも「この視点から歌えるのはボカロだけだな...」とか「これを人間が歌うとクドいな...」など人間の感情が邪魔になりそうな歌詞は、たくさんあります。「そういうの好きかも!!」と思っていただけたのなら、ぜひ探してみてください。

 

 

4.ボカロP本人の変化を感じられる歌詞(Henceforth/orangestar)


 

「Henceforth」は、orangestar氏の2年9か月振りの復帰作であり、ファン待望の曲でした。

シンプルなピアノのコード弾きから始まるイントロも、サビのシンセも、シンプルな伴奏も「ああ...オレスタさんだな...」と安心するくらい曲は変わりなく、いつもの彼らしい曲です。

 

 

しかし、彼の変わりようは歌詞の方に表れていました。

 

 

この変化をわかっていただくために、まず長い前置きとして彼の活動遍歴を追っていきます。

 

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活動初期のOrangestar氏は、驚くほどネットと現実を分けずに活動していました。

例えば「午前四時半」は、彼のリア友と思しき人に当てた曲であり、動画のキャプションからもその親しい空気感が伝わってきます。

そのほかでも、彼は自らの地元の写真をスライドショーにして曲を投稿していたり、初めてのアルバムを地元で手配りしようとしていたりなどとこちらが少々不安になるレベルで身内ネタを組み込んでいました。

 

この時期には「ヴァーミンキラー」「二次元の女の子に恋をしてしまって辛い…w(削除済み)」などフィクションのほぼ混ざらない日記のような歌詞であったり、「真夏と少年の天ノ川戦争」「夏色アンサー」等彼が好きなアニメ作品に強く影響されただろう物語調の強い作品を作っていたりします。

 

こうした身内感やOrangestar氏本人の肉体感のこもった歌詞は徐々に失われていき、「アスノヨゾラ哨戒班*1の頃には、「将来への不安と期待を歌う」「夏曲」「「僕ら・僕たちを使いがち」「「君」へのエール」「別れの歌」といった処女作からの作風に一本化していきます。

 

作風の一つとして挙げた「将来への不安と希望」の比率は曲によって変わりますが、動画として投稿している曲はラスサビで力強く「希望」を歌う曲が多く、アルバム限定曲には「不安」を中心に歌った曲が多い傾向にあります(当初アルバム限定曲であった「Uz」と同じアルバムからMVが投稿された「DAYBREAK FRONTLINE」の違い、というと分かりやすいかもしれません)。

 

...とここまでが彼の変遷でした。

 

本当はアスノヨゾラ以降の全曲を紹介して彼が描いてきた「別れ」と「将来」の話をしたいところなのですが、長くなりすぎるので、ここからは「Henceforth」と過去曲を適宜比較して空白の二年で彼がいかに変化したのかについて書いていきます。(やっとHenceforthの話ができる...)

 

さて冒頭からです。

あぁ 君はもういないから
私は一人歩いている
あぁ 腐るよりいいから
行くあてもなく歩いている

ここからもうすでに「アスノヨゾラ哨戒班」と比較できる歌詞ですね。アスノヨゾラ2番Bメロでは

君がいてもいなくても翔べるなんて妄想
独りじゃ歩くことさえ僕はしないまま

と歌っていて、あの頃「一人じゃ歩けなかった」彼ではないことがわかります。

「空奏列車」や「DAYBREAK FRONTLINE」 の歌詞では未来に向かって突き進む描写がありますが、これら歌詞の中では「君」とまだ分かれる前ですし、「明日から頑張るぞ!!」という決意表明のように響きます。

さらに、お別れソングである「快晴」ではサビ前にて

あがいていたって空は星を降らすから
まぁ、生きていくよ

若干投げやり気味に自らの今後を語っていて「それで送りだされるのめっちゃ不安だが??」と言いたくなるような詩になってしまっています。

しかしここの歌詞では、別れの後でも(目標は見失っているようですが)着実に前へ進んでいる印象になっています。ここだけでもだいぶ変わったね...と言いたくなりますね(謎目線)。

 

この後の歌詞は

あぁ これからはそうだな
何も求めずに生きていく
あぁ お金よりいいでしょ
これで何も失わないね
あぁ! 泣くな空、心配ない!
終わりのない夜はないね
あぁ 闇はただ純粋で
恐れてしまう私が弱いだけ

 

 と一瞬再びの投げやり展望が顔を出しますが、こちらの不安を見越したかのように「終わりない夜はない」「恐れてしまう私が弱いだけ」と決意を新たにしています。

 

サビへ行きましょう。

仕方なくもう一回
変わらぬ今日を征くんだよ
何度でも 

 ここも過去作と比較できる曲があります。

 

「DAYBREAK FRONTLINE」では「何も変わらない笑えない日々を 抜け出そうぜ君を連れ飛び出した」

CITRUS」では「昨日も今日も同じような色に嫌気差した きっと あの向こうに待つのも 変わらぬ色の未来だ なんて」

「空奏列車」では「わかってんだって こんな夢の無い ダイヤグラムで 世界はもう
決まりに切って 疲れるわ」

シンクロナイザー」では「同じ景象に参っている」...

こんな具合で彼の曲には「ルーティン」を嫌う歌詞が何度も登場し「それを打破したい」などと歌ってきました。

 

ところが、Henceforthでは「仕方なく」と言いつつも「何度でも変わらぬ今日を征くんだ」と前向きに歌いきっていて、さらにラスサビでは「仕方なく」が「諦めず」に変わり、決意が感じられます。(2ndアルバム収録の「八十八鍵の宇宙」でもすでに「繰り返しの毎日でも 何か残せたなら」とルーティンに希望を見出していますが、ルーティンに果敢に挑む歌詞にはまだなっていないように思えます。ここは解釈が分かれそうですが...)

 

そしてサビ頭

あぁ! 夏を今もう一回
君がいなくても笑って迎えるから

ここは過去曲すべてとの対比、というよりも「快晴」との比較が強い部分です。

さきほどちょっと触れましたが、「快晴」では「君は笑っていて」とは歌い、「二度と帰れなくても それは美しい 僕らだけの夏だったろう」と思い出は歌うものの、主人公がこれからどうするかの部分について「生きていく」としか言っていません。

それがこのただいまソングでは「君がいなくても 笑って迎えるから」と歌っており、これからの展望が少しついたように感じます。

 

このように見てみると、Henceforthでは実際に2年間の別れた期間を経て、全体的に足が地に着いた印象を持ちます。「僕ら・僕たち」はこの曲に一度も登場せず、自らの話のみをしていることも、落ち着いた印象になる理由の一つかもしれません。

 

それでいて「「君はその夢をもう一回」」と「君」へのエールを送るところは変わりなく、夏曲であることも昔のままですし、「読み返しても嘘はないから」と身内成分マシマシだった時代からの曲も踏まえて自分がいると歌っているのです。エモい。

 

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このように「作者の変化」を意識して歌詞を聴くことは自分もほぼ無く、この作品が「復帰作」であったからこそそこに注目したところがあります。言ってみれば、この曲は自分に今までなかった視点からの歌詞の読み方を教えてくれた曲で、私が好きなのは、そういった事情があります。

歌詞を読めば、新鮮な視点で曲を聴けるようになるかもしれない。みなさん、歌詞、読みましょう。

 

5.終わりに

遅刻しました。申し訳ないです。

主因は途中で自分と解釈違いを起こしたせいです。そのせいで書いてた文章半分吹き飛んだ。哀しい。

この記事で書きたかったことは正直書ききれていないし、乱文で読みにくいし、とにかくボロボロですがとにかく投稿できてよかったです。

そしてこんな文章に最後までお付き合いいただきありがとうございました!!

 

*1:この曲も「午前四時半」の動画説明欄にある「第107統合戦闘航空団夜間哨戒班」という恐らく友人内のサークル(?)へ向けた作品であると思われる。参考:https://twitter.com/MikanseiP/status/501673920726970371?s=20